ブックタイトル365日のワークシート

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365日のワークシート

コラム国によって違う手話秋山奈巳(神奈川県立平塚ろう学校)手話はジェスチャーのようなものだから手話は世界共通だろうと思っている人がいるかもしれませんが、実は違うのです。音声言語が国ごとに違うように、手話もまた国ごとに違う言葉です。私たちが学校で学ぶ最初の外国語は英語です。英語を話すアメリカとイギリスを例に見ると、両国は異なる手話を話します。アルファベットを表す指文字も、アメリカは片手で表し、イギリスは両手で表しています。どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。実は、手話の伝わり方(伝播)の歴史的背景があるのです。アメリカ手話は聾教育史の中でフランス手話からもたらされたため、フランス手話の影響を受けて発達してきました。アメリカで聾教育を広めたトーマス・ホプキンス・ギャローデットはフランスで聾教育を学び、パリ聾学校の教員だったローラン・クレールをともなって帰国し、アメリカの聾学校を設立しました。そのため、聾教育の場でフランス手話またはフランス手話をアレンジしたものが使われたことが想像できます。その後、長い年月を経てクレオール的に発展し、現在のアメリカ手話になりました。現在では、フランス手話とアメリカ手話は語源的に似ているところがあるという程度で、完全に同じというわけではありません。アフリカ諸国でも、教育の歴史の中で影響を受けるという状況が起こりました。アフリカ諸国では、アメリカの教育を受けた聾教育の先駆者であるアンドリュー・フォスターが各地に聾学校を設立したことから、アメリカ手話からピジン化、そしてクレオール化が進んできました。聾教育の歴史とは別に、国策や政治の影響で手話の繋がりが生まれた国もあります。例えば、20世紀はじめ、国際関係の中で、ある国の音声言語や手話言語、文化などが、他の国に持ち込まれました。その結果、今でもある国の手話が他国の手話の言語構造と似通っている現象が見られます。一方、イギリス手話は、イギリスのコモンウェルス諸国に広まっていきます。オーストラリア、ニュージーランド、その周辺のポリネシアの国々の多くでは、イギリス手話を母体系とする手話が使われています。聾教育の黎明期や、国策の変動によって起こってきた手話の伝播は、国家を超えて言語体系の基として現在までつながっているのです。